| ●なるほど!きじコラム歴史編 |
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| ●きじ料理の歴史 |
日本では古くからキジを食用としていたようだ。
それは残されている文献からもうかがえる。
日本書紀には、仁徳天皇が遊猟して、キジを捕ったことが記されている。
平安時代になると神に供える酒食である神饌(しんせん)に、キジが選ばれており
春日大社の若宮では、神饌にキジを1.256羽供えたという記録もある。
平安期の宮中料理を後に伝える「四條流」の伝えには「ただ鳥といえばキジをさすもの」
と述べられている。当時は干物にした塩キジや、キジの脚の焼き物などが、
最高の鳥料理とされていたようだ。「四條流」は光考天皇の行った料理儀式を、
藤原政朝が伝えた物で、政朝は四条中納言朝臣山陰(やまかげ)の名でも知られた。
後世、江戸時代まで残されたキジ汁を「山かげ」または「やまかげ鍋」と呼ぶのも
政朝の伝に由来するらしい。
中世以降 仏教の影響で肉食を禁己する時代が長く続いたが、鳥だけは免れていた。
江戸時代の「徳川禁令考」の中には「キジの売出時期は九月より」と、句が示されている。
寛永年間の「料理物語」によると当時は、なます、刺身、先述の山かげの他に、
「青がち」というキジの腹わたを入れた汁や、船場(せんば)という、大根を入れた塩煮汁
「鯉こく」の名の起こりでもある「こくしょう」という味噌煮などの食べ方があったそうだ。
また羽節酒(はぶしさけ)という羽の中の節よりも先を細かく叩き塩、酒で煎って燗酒に
入れたものやつかみ酒という、肉と腹わたを、味噌たたきにしてあぶり、
燗酒に入れたものがあった。
現在、宮中の新年祝賀の儀でも、「おきじさま」と呼ばれているきじ酒が、
飲まれているというが、こうした料理方法の流れを汲むのかもしれない。
いずれにしても、古代より近世に至るまでキジは尊ばれながらも
食べられ続けてきたのである。
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